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量産車初のアルミフレーム、市販車として初めてのフルカウルなどにより、レーサーレプリカブームの先駆けとなった

1978年に登場したRG250(スポークホイール)・RG250E(キャストホイール)の後継モデル。並列2気筒(パラレルツイン)がたたき出す最高出力45馬力が以後メーカー自主規制の上限値となった。量産車初の角パイプアルミフレーム、市販車として初めてのフルカウル(オプション)などにより、レーサーレプリカという名前を生みだし、後のレーサーレプリカブームの先駆けとなった。当時は一般的だったセンタースタンドは装備されていない。250ccでは初めて、メーター読みで180km/hまで出ると言われたマシン。タコメーターの目盛は3000rpmから始まり、それ以下のエンジン回転数は表示されない。通称「やっこだこテール」と言われる。1984年には、当時のGPでスズキが走らせていた黄色いハーベーカラー(HBカラー)を設定。カウル形状を若干スラントさせた。HBカラーの後に青/白カラーを発売。

1983年

量産車としては初のアルミフレーム、自主規制値の45psを発生させるパワーユニット、フロント16インチ、リア18インチにミシュランタイヤを装着し、アンチノーズダイブやフルフローターサスなど、徹底的に走りへの拘わった。γ(ガンマ)はギリシャ語の「栄光」という意味で、レーサーRG500に初めて記した。RG250ガンマの開発には「レーサーに公道走行のための最低限の部品を装着しよう」という、思い切った行動力が働いたと言われている。フレームマウントのカウル、切れ角30度のハンドル、レーサーRG500ガンマに酷使させたブレーキキャリパー、材質をオールアルミとしたメーター類、レブカウンターも3000rpm以下をカット、多段テーパーチャンバーと、開発スタッフは思い通りの仕事が果たせたという。最も苦労したのは、やはりアルミフレームの量産だった。自動の機械を使うことなく、手仕事で全てを果たしている。重量7.6kg、リアサスのピボット付近はアルミキャスト製で十分な強度を与えられている。完成したマシンは、紛れもないレーサーだった。バンク角53度、リアブレーキのトルクロッドさえもアルミ角パイプが充てられている。エアプレーンタイプのフューエルキャップも気をそそる部分だ。調整可能なクリップオンハンドルに手を置くと、否応なしに心がかき立てられるモデルだった。

1984年

デビューと同時に圧倒的な支持を得て、人気の頂点を得たモデル。1984年はマルチタイプのALBOXフレームに変更。パワーユニットにはEASCを装備して、より高回転域での出力特性の向上も図られている。外観上の違いは、カウルやテール、ショート化したサイレンサーなど、わずか1年で大々的なマイナーチェンジを図った。走行上の違いは、フレームの変更によるフロントに与えられたハンドリングの違いで、前モデルよりも安定感が加わっている。アンダーカウルを標準装備したハーベーカラー(HBカラー)と従来型共に軽量化を果たしている。

1985年

1983年3月のデビュー以来、着実に熟成されたガンマも1987年で最終となった。1985年以降は特に多くの変更もなく、ライバルの追撃を受けるだけとなり、抜き返す力量は薄れていった。だが、ガンマが仮に他のモデルと比較できない程の優れたパフォーマンスを常に与えられたとしても、ユーザーは新たに登場するライバルモデルに目を奪われていたかもしれない。それほど変化の激しい時代となっていた。1984年に登場した限定モデルのHBカラーは、パワーユニットに電子制御のエアーコントロールシステムEACSを装備。エンジン回転数を検知し、必要に応じたエアをキャブレターに送り込み、加速性能と燃費の向上を果たしていた。中速域の出力特性の向上と共に、SRタイプのラジエーターも15%の容量アプ。MR-ALBOXフレームも単体重量で5%の軽量化が図られ、7.3kgと超軽量のダブルクレードルに仕上げられている。この2型は、すべての面で改良されており、走りのインパクトも1型とはまったく異なった印象だった。ディスクプレートを小径化し、DECA-PISTON(前8/後2)を採用したブレーキシステム、偏平率を高め、グリップ性能を増したチューブレスのミシュランタイヤ、新たに採用されたアルミ製フロントスタビライザーなど、徹底したポテンシャルアップが図られていた。また、外観ではアンダーカウルを標準装備。さらに、照射範囲を拡大した60/55Wの大光量ハロゲンヘッドライト、ブレーキやオイルホースにはメッシュタイプを採用するなど、ホンダNSR250R、ヤマハRZ250RRの追従を許さなかった。1985年3月には、クラッチフェーシングを従来のハイカーコルクから新素材のFCC-2622Bに変更。耐久性と操作性の向上を果たした。また、この年の注目の改良は足まわり。フロントには、これまでのANDFをさらに進化させたPDFを装備。制動時のみならず、コーナーリングやエンジンブレーキ時のフロントの沈み込みにも、圧力を感知したモジュラーにより減衰力をコントロールするといった優れた機構だった。これに対応するように、リアのフルフローターサスもEフルフローターに改良。偏心カムを用いて初期作動時とボトム付近でのショックユニットへの圧の入力をコントロールし、ストロークに応じた理想的なレバー比が得られるようになっている。走りもサスペンションに柔軟性が増した印象。メーター類はホワイトに変更されている。また、この年からの限定モデルとしてウォルターウルフがラインアップ。1987年の最終まで、シルバーウルフを含め4パターンのカラー変更が行われた。1986年にはMR-ALBOXフレームを新設計して、ホイールベースを1385→1355mmに短縮。走りにシャープさを加えている。さて、最終型ではフロントフォークのインナーチューブをφ38mmに大径化。ブレーキのディスクもφ275mmと拡大している。ホイールは中空3本スポークを採用し、タイヤを変更。フロント100/90-16→110/80-16、リア110/80-18→120/80-18と偏平率を上げた。